神に会ったことがある。
あれは2010年の1月2日の朝の夢だった。突拍子も無いことをと言っていると思うかもしれないが、確かに覚えている。
仙人のような姿だった。
当時ニートだったボク。彼に問うた。「全知全能として生きることは楽しいか?」と。
すると心に直接答えてきた。「楽しいに決まってるじゃないか」と。
ボクと神とは価値観がちがう。
不完全でよかったと心から思った瞬間だった。
ファイナルファンタジーXで全てを越えし者を七曜の武器を手にしてさくっと倒したときのむなしさににているかもしれない。
その出来事以来、困難を受け入れられる下地を持てているのだと感じる。
困難や動揺にに対して動じないことはできない。
それは強さではなく、逃げか無頓着。
「逃げ出したい」とかそういう自分の気持ちを知覚して認知していくことでそれを受け入れていく。
そうすると、そう長くかからずにその気持ちは静まりかえる。
そして心が静かになれば自分のできることに手をつけていけばいい。
完全にはなれない、なりたくない。
なぜなら壁を越える喜びと、強くなっていく実感こそが喜びだからだ。その先にあるのは成功なんて陳腐なものではなく幸福。
「できること」が増えることは、その喜びを体現することであるし、成長の証なのだから。
時間がたっぷりるのに、最初からアルテマニアを最初から開くかい?
時間が無いから攻略本を読むんだろ?
2011年6月22日水曜日
2011年4月19日火曜日
2011年2月23日水曜日
コトバ
現在訓練所で行うワークショップの作成が委員会で進行中です。
そして、今回やることがきまったワークショップや講座をつくることの難しさを実感しています。
何が難しいかって、コトバで参加者のアイディアに火をつけ、思考を深くする手伝いをするという点。
誤解を恐れずに言うのであれば、「コトバによって人の思考を誘導する」ということ。
よい方向へ向かえばまったく問題は無いですが、道をはずすこともよくあります。
それはワークショップだけのことでなく、普段の生活でもそうです。
最近その点で壁にぶつかっています。
深刻といえば深刻ですが、一つ一つ解決していっています。解決してくれています。
もっと、コトバを選び使う技術と人の発言に対する返答の仕方を勉強したいと思います。
二本松のみんなへ
ワークショップはいいものにします。期待してもらっていいですよ(笑)
深刻といえば深刻ですが、一つ一つ解決していっています。解決してくれています。
もっと、コトバを選び使う技術と人の発言に対する返答の仕方を勉強したいと思います。
二本松のみんなへ
ワークショップはいいものにします。期待してもらっていいですよ(笑)
2011年1月30日日曜日
目標についての考察
「目標」とは個人やグループ、組織が今後の行動の指針とし、またある一定の結果をえるための的でありめあてである。
ある一定の結果を出すためには目標は具体的であればあるほどいい。
具体的とはつまり数値化・形式化されるということである。
テストで100点とる。
TOEFLでスコア100をだす。
営業で年1千万円稼ぐ。
500万円貯金する。
など
そして、その具体性の上に高次の目標がある。
数値化できない漠然としたものも。ビジョンというべきものだ。
優しい人間になりたい。
誠実な人間でありたい。
英語をペラペラしゃべりたい。
など
つまり、積み木のように具体的目標の上にビジョンがある。と私は考える。
ビジョンに到達するためのツールが具体的目標としてある。
数値化された目標をゴールとしてはいけない。
それが目標である以上一つのゴールであるのだが、その先にあるもの、それを得ることでどんなビジョンに近づくのかを常に心の片隅においていなければおぼれてしまう。
策士策におぼれる。といったところだろうか。
予防方法は
・いくつかのレベル(ダイナミクス)で自分の目標を持つこと。
・短期、中期、長期の視点をそれぞれのレベル(ダイナミクス)にとりいれること
である。
今の私は具体的目標を決めずらいところにいる。これから2年生活する場所を知らないからだ。あまりにも大きい変化がやってくるからだ。
そういう時こそ時間軸やレベル(ダイナミクス)別の目標を見直すときではなかろうか。
ある一定の結果を出すためには目標は具体的であればあるほどいい。
具体的とはつまり数値化・形式化されるということである。
テストで100点とる。
TOEFLでスコア100をだす。
営業で年1千万円稼ぐ。
500万円貯金する。
など
そして、その具体性の上に高次の目標がある。
数値化できない漠然としたものも。ビジョンというべきものだ。
優しい人間になりたい。
誠実な人間でありたい。
英語をペラペラしゃべりたい。
など
つまり、積み木のように具体的目標の上にビジョンがある。と私は考える。
ビジョンに到達するためのツールが具体的目標としてある。
数値化された目標をゴールとしてはいけない。
それが目標である以上一つのゴールであるのだが、その先にあるもの、それを得ることでどんなビジョンに近づくのかを常に心の片隅においていなければおぼれてしまう。
策士策におぼれる。といったところだろうか。
予防方法は
・いくつかのレベル(ダイナミクス)で自分の目標を持つこと。
・短期、中期、長期の視点をそれぞれのレベル(ダイナミクス)にとりいれること
である。
今の私は具体的目標を決めずらいところにいる。これから2年生活する場所を知らないからだ。あまりにも大きい変化がやってくるからだ。
そういう時こそ時間軸やレベル(ダイナミクス)別の目標を見直すときではなかろうか。
2011年1月24日月曜日
気持ちの整理
プレゼンの準備の息抜きに、雑記を。
JOCVの二本松での訓練が本格的に始まって3週間がたった。
午前 8時45分~11時35分 英語
昼食11時35分~13時00分 昼食(この間に会議がある日も)
午後13時00分~14時50分 英語
午後15時10分~17時10分 講座
というスケジュールで動いている。
もうすっかり慣れたのだが、もうすこし時間がほしい。
勉強したいことも、調べたいことも、考えたいことも山ほどある。
やることの整理がついていない段階が今なのだろう。
優先順位がつけられない。だって、どれも大事だろう?あー、欲張りだ(笑) もっと欲出していこう。
楽しいことももっとしたい。もっと追い込みもしたい。今、英語も、パーソナリティーも壁を越えようとしている。その過渡期にいる。
もっとハングリーに。そうありたいからJOCVを選んだ。
ここにはがんばりあえる人たちがいる。それが一番であることには間違いない。
うん、気持ちは整理されてきた。よし、勉強に戻ろう。
JOCVの二本松での訓練が本格的に始まって3週間がたった。
午前 8時45分~11時35分 英語
昼食11時35分~13時00分 昼食(この間に会議がある日も)
午後13時00分~14時50分 英語
午後15時10分~17時10分 講座
というスケジュールで動いている。
もうすっかり慣れたのだが、もうすこし時間がほしい。
勉強したいことも、調べたいことも、考えたいことも山ほどある。
やることの整理がついていない段階が今なのだろう。
優先順位がつけられない。だって、どれも大事だろう?あー、欲張りだ(笑) もっと欲出していこう。
楽しいことももっとしたい。もっと追い込みもしたい。今、英語も、パーソナリティーも壁を越えようとしている。その過渡期にいる。
もっとハングリーに。そうありたいからJOCVを選んだ。
ここにはがんばりあえる人たちがいる。それが一番であることには間違いない。
うん、気持ちは整理されてきた。よし、勉強に戻ろう。
2010年12月11日土曜日
レースレポート<第80回カントリーレース>
12月5日に行われました。
スタートは採銅所(日豊本線)付近の牛斬山登山口。
牛斬山ー福知山を越え、皿倉平がゴールの24km。
結果は3h53min。31位。
レース前の目標が4時間で40位でしたので
91人中31位、タイムもSub4で満足です。
99%がトレイルで前半は開けたトラック。後半は森の中を抜けるコース。
気持ちよかったです。
作戦は
・前半絶対に飛ばさない(激坂の念仏坂だけはラインどりをストレートにして飛ばす)
・福知山の下りまでは飛ばさない
・福知山を下り終えてからスピードを上げる
・最後の皿倉山ののぼりを走り登る
ほぼ全ての作戦はこなせました。
しかし、やはり課題も残るもの
・調整不足と寝不足
・筋持久力
・ダウンヒルで脚の甲が痛くなる(靴紐を締めすぎorあっていない)
・なので、得意の下りを飛ばせない
前回のレースから改善できた点として
・レース全体をみた体力の折り合いをつけられるようになったこと
・ふくらはぎがつっても、止まらずに走り方を変えながら治せたこと
これが今年最後のレース。
日本最後のレース(かもしれない)。
訓練所でも走ってきます。
入所準備しなきゃ・・・
2010年11月5日金曜日
レースレポートー金峰三山山岳マラソンー
トレランレポートです。
熊本市の金峰山・二の岳・三の岳を上り下りするコース42km。
正直な感想として、トレイルランナーとしては非常に苦しいレースでした。
トレイル率はきわめて低く、ほぼロードの路面。
山も急な上り下りの連続で楽しめるトレイルは限られていました。
ロードでの急坂は上りも下りも、筋肉・関節に響きます・・・
ストレスがたまるレース・・・
最後の最後までがんばりすぎない事を心がけてましたが、前半の前半で足を使い過ぎ・・・これは性格でしょうか・・・
トレイルで他の選手を抜いても、ロードでの基礎スピードが違うので追いつかれ、抜かれ・・・
結果、5h 48minの112位。
111位まで後2秒。最後のスパートで追いつけませんでした。。。
ストレスのたまるレースでしたが、ボランティアスタッフの方や運営スタッフの方はあたたかく、welcomeな雰囲気で気持ちがよかったです。
課題も見えました。
・ロードでの走り込み(月間150kmは走らないと)ーやっぱり基本。
・腹筋の強化と体全体の筋持久力アップ。ー上下運動がつづくとつりそうにいたくなるので。
・内転筋の強化。ー上りの時膝が開いてしまい力を分散してしまっているので。
・前半の前半で自分のペースより早い人に引っ張られようとした点。ーレースの早い段階で同じペースの人を見つけるのが大事。
評価できる点として
・山でのテクニックーうまくなっている実感があり、下りも飛ばして全く怖くない。
・補給のタイミングと効果的な摂り方。
・気持ちを押さえるところで押さえられた点。
次は、採銅所ー皿倉山カントリーレース。
こちらは100%トレイルのレース。
すっごい楽しみで、すっごい楽しみたいので、すっごい練習しよう!
2010年10月23日土曜日
国際協力の仕事場
すこし、自分の事を書きます。おつきあいください。
世界は地続きである。
そう思えたからこそ、この世界に飛び込みました。
新卒で就職せずに。
NGOを経て、来年からJOCVでウガンダで仕事をします。
修士での勉強もしたくて、この夏に東大大学院を受験し、幸運にもに合格をしましたが、ウガンダに行く事を選びました。
その理由は
「ドナーでなく、パートナーとして仕事をする」
このコトバにつきます。
「援助者=被援助者」の関係でなく「仕事仲間」としての関係で途上国の人と接していける事が今後の数十年間仕事をしていく中で最も必要なことだと考えました。
知識や仕事力よりもこの「姿勢」が今一番、これから一番必要なものだと感じています。
それがなければ、どんな知識を身につけても、どんなにすばらしい研究結果を導きだせても、私の考えや思いは決して途上国の人たちに届かない。
国際協力の世界で働く上で一番必要なことがその「姿勢」でありそれは現場にいく事で培われていくものだと思っています。
理想は新卒者の就職の選択肢の中にNGOや国際協力業界があることです。
そうすれば、多くの人材とアイディアが国際協力に入ってきます。
そのためには、NGOやこの業界が人材を育てられるだけの基盤を持つ事。
その基盤を持つために財政基盤の確保と教育者の確保がひつようです。
とはいっても、現実問題この世界に飛び込んでも食べていけません。食べていけているのはJICAに新卒で入った方々のみです。
そこに風穴をあけていく。
私の通ったところが獣道ぐらいにはなるだろうと信じて。
多くの人に育てられました。家族や友人、仕事仲間などなど。みんなへの恩返しは国際協力no仕事場で仕事をし続けていく事だと思っています。
”溜め”を持っている私ですから、それを社会に還元して誰かの”溜め”になればと願っています。
世界は地続きである。
そう思えたからこそ、この世界に飛び込みました。
新卒で就職せずに。
NGOを経て、来年からJOCVでウガンダで仕事をします。
修士での勉強もしたくて、この夏に東大大学院を受験し、幸運にもに合格をしましたが、ウガンダに行く事を選びました。
その理由は
「ドナーでなく、パートナーとして仕事をする」
このコトバにつきます。
「援助者=被援助者」の関係でなく「仕事仲間」としての関係で途上国の人と接していける事が今後の数十年間仕事をしていく中で最も必要なことだと考えました。
知識や仕事力よりもこの「姿勢」が今一番、これから一番必要なものだと感じています。
それがなければ、どんな知識を身につけても、どんなにすばらしい研究結果を導きだせても、私の考えや思いは決して途上国の人たちに届かない。
国際協力の世界で働く上で一番必要なことがその「姿勢」でありそれは現場にいく事で培われていくものだと思っています。
理想は新卒者の就職の選択肢の中にNGOや国際協力業界があることです。
そうすれば、多くの人材とアイディアが国際協力に入ってきます。
そのためには、NGOやこの業界が人材を育てられるだけの基盤を持つ事。
その基盤を持つために財政基盤の確保と教育者の確保がひつようです。
とはいっても、現実問題この世界に飛び込んでも食べていけません。食べていけているのはJICAに新卒で入った方々のみです。
そこに風穴をあけていく。
私の通ったところが獣道ぐらいにはなるだろうと信じて。
多くの人に育てられました。家族や友人、仕事仲間などなど。みんなへの恩返しは国際協力no仕事場で仕事をし続けていく事だと思っています。
”溜め”を持っている私ですから、それを社会に還元して誰かの”溜め”になればと願っています。
2010年5月11日火曜日
Empty Eternity
2010年3月5日金曜日
旅の夕暮れ 今日の夕暮れ
まず、断っておきたいがここで言及することが真理ということは決して無い。
しかし、一つの世界のえがき方だとも思う。
「人生とは旅(のようなもの)である」
誰もがうなずけるとおもう。 だが、私は違うと言いたい。
旅とは人生を魅力的にする2つの要素のうちの1つではないでのか。
すなわち日常に対する非日常。
日常があるが故に非日常があり、非日常があるために日常があるという事だ。
コインの表と裏、昼と夜の関係性と同質のものである。
旅(非日常)とは日常から遠いので人は旅において感傷的になったり、冒険的になったりするのだ。
旅のその移動距離に関わらず。
車で30分の目的地でも、県内でも、国内でも。 日常からの遠さでそれは旅になる。
毎日、毎週、毎月の仕事があり同じ行動を繰り返す事でそれは日常になる。
その繰り返しの行動から外れる行動をするとそれは旅になるのだ。
週末のドライブもたまにするから気持ちがいい。
毎週ドライブへ行っていてはそれは旅ではなく日常だ。
これに関しては賛同してくれる人の方が多いと思う。
では、人生という長い期間で考えるとどうか。
まず、人生と旅をつなげてみる。 この二つの共通点、すなわち、ある場所から別の場所へ、そしてさらに別の場所へ、という”移行性”だ。
これは場所や組織、住処などの物理的なものからその移動にともなう関わる人の違いと移行、すなわち人間関係などの精神的な移行も含んでいる。
人生において個人は所属と位置を変えながら(成長しながら)、それと同時に関わる人とその人との関わり方を変えていき、人生を歩む。
旅も時間を使いながらある場所からある場所へ、それと同時にその土地その土地で関わる人を変えていきながら旅をつづける。
この点においては人生は旅そのものと言ってよいように思える。
しかし、"移行性"が共通しているからといって旅と人生をつなぎあわせるのは危険だ。
なぜなら、人は常日頃から旅行中のあの気まぐれさ。開放感。冒険性。敏感さ。漂泊感。を持って日常を過ごす事ができないからだ。旅行中の感覚で日常へ入ると「バカンス気分が抜けていない」と上司に怒られるだろう。旅独特のあの感覚は日常にないからこそ人は旅に憧れる。
旅人の移行性は自由であるが、旅から帰ると自分の移行性(行動と関係)にともなう責任がついてくるからだ。
つまり、非日常の移行性と日常の移行性は似通ってはいるが、まったく異質のものだ。
だから、旅と人生は別である。
人生=日常+旅
ゆえに旅は人生の半分であり必要なもの。そして旅があるから日常が輝き(その逆もしかり)、人生が楽しめるのだ。
しかし、一つの世界のえがき方だとも思う。
「人生とは旅(のようなもの)である」
誰もがうなずけるとおもう。 だが、私は違うと言いたい。
旅とは人生を魅力的にする2つの要素のうちの1つではないでのか。
すなわち日常に対する非日常。
日常があるが故に非日常があり、非日常があるために日常があるという事だ。
コインの表と裏、昼と夜の関係性と同質のものである。
旅(非日常)とは日常から遠いので人は旅において感傷的になったり、冒険的になったりするのだ。
旅のその移動距離に関わらず。
車で30分の目的地でも、県内でも、国内でも。 日常からの遠さでそれは旅になる。
毎日、毎週、毎月の仕事があり同じ行動を繰り返す事でそれは日常になる。
その繰り返しの行動から外れる行動をするとそれは旅になるのだ。
週末のドライブもたまにするから気持ちがいい。
毎週ドライブへ行っていてはそれは旅ではなく日常だ。
これに関しては賛同してくれる人の方が多いと思う。
では、人生という長い期間で考えるとどうか。
まず、人生と旅をつなげてみる。 この二つの共通点、すなわち、ある場所から別の場所へ、そしてさらに別の場所へ、という”移行性”だ。
これは場所や組織、住処などの物理的なものからその移動にともなう関わる人の違いと移行、すなわち人間関係などの精神的な移行も含んでいる。
人生において個人は所属と位置を変えながら(成長しながら)、それと同時に関わる人とその人との関わり方を変えていき、人生を歩む。
旅も時間を使いながらある場所からある場所へ、それと同時にその土地その土地で関わる人を変えていきながら旅をつづける。
この点においては人生は旅そのものと言ってよいように思える。
しかし、"移行性"が共通しているからといって旅と人生をつなぎあわせるのは危険だ。
なぜなら、人は常日頃から旅行中のあの気まぐれさ。開放感。冒険性。敏感さ。漂泊感。を持って日常を過ごす事ができないからだ。旅行中の感覚で日常へ入ると「バカンス気分が抜けていない」と上司に怒られるだろう。旅独特のあの感覚は日常にないからこそ人は旅に憧れる。
旅人の移行性は自由であるが、旅から帰ると自分の移行性(行動と関係)にともなう責任がついてくるからだ。
つまり、非日常の移行性と日常の移行性は似通ってはいるが、まったく異質のものだ。
だから、旅と人生は別である。
人生=日常+旅
ゆえに旅は人生の半分であり必要なもの。そして旅があるから日常が輝き(その逆もしかり)、人生が楽しめるのだ。
2010年1月27日水曜日
Pradaigm Shift
あけましておめでとうございます。2010年も早1ヶ月も過ぎようというところですが、今年初エントリーです。
駄文長文です。申し訳ありません。精進します。
Paradigm Shift(パラダイム・シフト)を理想する。そんな時代を求めるべき時代が来たのだと私は感じている。
Paradigmとはご存知の方もいるかと思うが、科学史における時代区分の一つの方法論であるが、現代ではそれは技術分野のみならず、政治、経済の分野で広く使われている。
前エントリーで少し記したが、下らない政争をしていては長期的な国の行く末、その将来にある目的など望めない。
それに資本主義を変えてなくてはいけない時代がもうすぐそこまで来ている。ネオ・リベラリアン、ケインジアン、はたまたネオ・コン。どの立場にしても「消費」することで動く経済システムの中でのことだ。「消費」することで成長していく(成長しか知らない)経済構造を是正しなくては地球に未来はない。 まずは「消費」と「浪費」を切り離すことからはじめ、その上で、消費の「循環」と「成長」をつなげることが必要である。
例えばナイロン製の衣類を「生産→販売→消費→回収→リサイクル→生産」へ。
食品を 「生産→販売→消費→(生ゴミ)回収→リサイクル(肥料)→生産」
というように、生産品とリサイクル品が同じ循環なら経済活動としても、環境としても回っていくのではないだろうか。
ペトボトルをフリースのセーターにしてはならないのである。ペットボトルはペットボトルにしなくては。
私が足りない頭で考えたが、このようなもの以外に思いつかない・・・
資源と経済の効率性を考えた場合、まず間違いなくペットボトルをペットボトルにするよりフリースのセーターにする方がコストは安くなるだろう。だが、フリースのセーターがペットボトルに戻ってくるまでどれだけの数の行程と時間がかかるのだろうか。
少なくとも海や河川の水分が蒸発し、雨になって山に降るよりは時間がかかるだろう。
理想主義は時として行き過ぎたり揺り戻しが大きかったりするなどマイナス面が多々ある。
が。
早急に100年後の資本主義、民主主義のありかたを考え、意見を出す必要が出て来ているのではないか。 今やらなければ100年たってもやらないだろう。
では、何を?
声を上げることだ。多くの人が。
選挙や経済活動ではなく。今のシステムの外側で。
現実はそんなことをしても何も変わらないだろう。
30年経って振り返ってみても何も変わらないだろう。
ひとそれぞれでいい。自分のやりかたで。
それでいいと思う。
現実的な変化はボクらの子供の世代からでいいと思う。
プラハの春はすぐ散った。
だが20数年後にまた春は来たのだ。
駄文長文です。申し訳ありません。精進します。
Paradigm Shift(パラダイム・シフト)を理想する。そんな時代を求めるべき時代が来たのだと私は感じている。
Paradigmとはご存知の方もいるかと思うが、科学史における時代区分の一つの方法論であるが、現代ではそれは技術分野のみならず、政治、経済の分野で広く使われている。
前エントリーで少し記したが、下らない政争をしていては長期的な国の行く末、その将来にある目的など望めない。
それに資本主義を変えてなくてはいけない時代がもうすぐそこまで来ている。ネオ・リベラリアン、ケインジアン、はたまたネオ・コン。どの立場にしても「消費」することで動く経済システムの中でのことだ。「消費」することで成長していく(成長しか知らない)経済構造を是正しなくては地球に未来はない。 まずは「消費」と「浪費」を切り離すことからはじめ、その上で、消費の「循環」と「成長」をつなげることが必要である。
例えばナイロン製の衣類を「生産→販売→消費→回収→リサイクル→生産」へ。
食品を 「生産→販売→消費→(生ゴミ)回収→リサイクル(肥料)→生産」
というように、生産品とリサイクル品が同じ循環なら経済活動としても、環境としても回っていくのではないだろうか。
ペトボトルをフリースのセーターにしてはならないのである。ペットボトルはペットボトルにしなくては。
私が足りない頭で考えたが、このようなもの以外に思いつかない・・・
資源と経済の効率性を考えた場合、まず間違いなくペットボトルをペットボトルにするよりフリースのセーターにする方がコストは安くなるだろう。だが、フリースのセーターがペットボトルに戻ってくるまでどれだけの数の行程と時間がかかるのだろうか。
少なくとも海や河川の水分が蒸発し、雨になって山に降るよりは時間がかかるだろう。
理想主義は時として行き過ぎたり揺り戻しが大きかったりするなどマイナス面が多々ある。
が。
早急に100年後の資本主義、民主主義のありかたを考え、意見を出す必要が出て来ているのではないか。 今やらなければ100年たってもやらないだろう。
では、何を?
声を上げることだ。多くの人が。
選挙や経済活動ではなく。今のシステムの外側で。
現実はそんなことをしても何も変わらないだろう。
30年経って振り返ってみても何も変わらないだろう。
ひとそれぞれでいい。自分のやりかたで。
それでいいと思う。
現実的な変化はボクらの子供の世代からでいいと思う。
プラハの春はすぐ散った。
だが20数年後にまた春は来たのだ。
2009年12月7日月曜日
前半サッカーの話。後半政治の話です。
何事も目的が明文化もしくは明確になっていないと過程は不確実になり、その結果その目的までもブレてしまいます。
個人においては時間の経過と感情の経由がそれを引き起こさせ、組織においては関わった人の数とその関わりあいが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アビスパ福岡は毎年J1昇格(その目標自体が足下を見ていないと個人的にかんじるのだが)といいながらもそれを実現するための具体策を講ずることはなく。
はっきりいって昇格を決めた2005年の時のような雰囲気づくりを今シーズン、フロントは仕掛けていなかったし、チームスタッフもそう。
「結果の責任を選手だけがとった」とは私は言いません。事実ゲームをしたのは彼らなのですから。彼らにも責任の一端はある。
が、事実9名の選手がそれをとりました。
ではフロントは?チームスタッフは?サポーターは?
辞めることが必ずしも「責任をとる」ということではありません。それに現体制の継続を決めたフロントとそれを受けたチームスタッフが取るべき責任とは現段階ではプロスポーツチーム、フロントとして成長と変化しようという姿勢を見せること。
先日のホーム最終戦。人それぞれ感情、考え方を否定するつもりではありませんが、人の話を聞かないで文句だけ言うのは子供と一緒でしょうし、国会で野次る政治家と変わりありません。
勝つためにはチーム、サポーター、フロントの3者が一つにならなければならないのです。
わたしはサポーターがそれを放棄してしまったように思えてなりません。
確かに信頼することのできないフロントです。しかし私たちがそれを、チームとフロントを長い目で見守り、信頼し続けなければ、フロントは「なにをやってもブーイングされるよ」と身を固めてしまいます。
好きな人の笑顔を見る最もシンプルかつ効果的な方法は自分がその人に微笑みかけることです。
これが私たちの今シーズンの反省と責任。来シーズンへの宿題です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変わって政治の話です。
ちょっと古いのですが事業仕分けについて。
「目的の明文化」という点でサッカーネタと同じエントリーで。
鳩山首相の事業仕分けの最初の目的は何だったのでしょうか。
①来年度予算の見直しと無駄を省くこと。
②天下り法人の洗い出しと撲滅。
③無駄を省いたうえでの子供手当などの財源確保。
といったところでしょうか。
勝手な想像ですが、首相は全部をやれると思ったのでしょうし、それがりそうだった。しかし、あまりにも短期間にすべてを詰め込みす、そのため目的がぶれてしまった。
しかも、数字だけを目標にしてしまったためか血の通わないやりかたになってしまった。
科学分野の知識人、オリンピックメダリストたちの抗議はそのいい例です。
鳩山政権は八方美人の理想家。
事業仕分けも優先順位をつけて行うべきだったし、仕分け人の選定も国民には不透明でした。
例えば、「天下り撲滅」を最優先にするとすれば、そこに焦点をしぼるべきでした。
私は事業仕分けを否定している訳ではありませんがもう少し目的に優先順位をつけ時間をかけるべきだったのでは?と感じます。
ただ、来年度予算と国会の期日を考えるといそがないといけなかったのも事実ですが・・・
首相は初めて政権をとって、短期で結果を出そうと「アレもコレも」になっています。
でないと次の選挙で自民党に政権を奪還されるのを恐れているからなのでしょうが・・・
いい加減、政争というものをやめていただきたい。
一国民国家としての目的が政争のためにブレ、国として何の進歩もしない時代が続いてしまいます。
自民・民主・その他の政党すべてが日本という国の中でのPlayerなのですから。
Think Global, Act Local. です。
次のエントリーはこれに関連してParadigm Shiftについてです。
何事も目的が明文化もしくは明確になっていないと過程は不確実になり、その結果その目的までもブレてしまいます。
個人においては時間の経過と感情の経由がそれを引き起こさせ、組織においては関わった人の数とその関わりあいが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アビスパ福岡は毎年J1昇格(その目標自体が足下を見ていないと個人的にかんじるのだが)といいながらもそれを実現するための具体策を講ずることはなく。
はっきりいって昇格を決めた2005年の時のような雰囲気づくりを今シーズン、フロントは仕掛けていなかったし、チームスタッフもそう。
「結果の責任を選手だけがとった」とは私は言いません。事実ゲームをしたのは彼らなのですから。彼らにも責任の一端はある。
が、事実9名の選手がそれをとりました。
ではフロントは?チームスタッフは?サポーターは?
辞めることが必ずしも「責任をとる」ということではありません。それに現体制の継続を決めたフロントとそれを受けたチームスタッフが取るべき責任とは現段階ではプロスポーツチーム、フロントとして成長と変化しようという姿勢を見せること。
先日のホーム最終戦。人それぞれ感情、考え方を否定するつもりではありませんが、人の話を聞かないで文句だけ言うのは子供と一緒でしょうし、国会で野次る政治家と変わりありません。
勝つためにはチーム、サポーター、フロントの3者が一つにならなければならないのです。
わたしはサポーターがそれを放棄してしまったように思えてなりません。
確かに信頼することのできないフロントです。しかし私たちがそれを、チームとフロントを長い目で見守り、信頼し続けなければ、フロントは「なにをやってもブーイングされるよ」と身を固めてしまいます。
好きな人の笑顔を見る最もシンプルかつ効果的な方法は自分がその人に微笑みかけることです。
これが私たちの今シーズンの反省と責任。来シーズンへの宿題です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変わって政治の話です。
ちょっと古いのですが事業仕分けについて。
「目的の明文化」という点でサッカーネタと同じエントリーで。
鳩山首相の事業仕分けの最初の目的は何だったのでしょうか。
①来年度予算の見直しと無駄を省くこと。
②天下り法人の洗い出しと撲滅。
③無駄を省いたうえでの子供手当などの財源確保。
といったところでしょうか。
勝手な想像ですが、首相は全部をやれると思ったのでしょうし、それがりそうだった。しかし、あまりにも短期間にすべてを詰め込みす、そのため目的がぶれてしまった。
しかも、数字だけを目標にしてしまったためか血の通わないやりかたになってしまった。
科学分野の知識人、オリンピックメダリストたちの抗議はそのいい例です。
鳩山政権は八方美人の理想家。
事業仕分けも優先順位をつけて行うべきだったし、仕分け人の選定も国民には不透明でした。
例えば、「天下り撲滅」を最優先にするとすれば、そこに焦点をしぼるべきでした。
私は事業仕分けを否定している訳ではありませんがもう少し目的に優先順位をつけ時間をかけるべきだったのでは?と感じます。
ただ、来年度予算と国会の期日を考えるといそがないといけなかったのも事実ですが・・・
首相は初めて政権をとって、短期で結果を出そうと「アレもコレも」になっています。
でないと次の選挙で自民党に政権を奪還されるのを恐れているからなのでしょうが・・・
いい加減、政争というものをやめていただきたい。
一国民国家としての目的が政争のためにブレ、国として何の進歩もしない時代が続いてしまいます。
自民・民主・その他の政党すべてが日本という国の中でのPlayerなのですから。
Think Global, Act Local. です。
次のエントリーはこれに関連してParadigm Shiftについてです。
2009年11月7日土曜日
Think global, Act local
JFKは大統領就任演説で次のように訴えた。
「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同 胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか」
人は独りでは弱い。
「誰かがやってくれるだろう」だとか
「別に自分がしなくても」とつい思ってしまう。
誰もがそうだ。
政治にしても「民主党はどう変えてくれるのか」だとか
環境問題にしても「個人よりも企業が動かなきゃ」だとか。
人がどうじゃない。
自分がアクションをおこすかどうかだ。
どんな小さな事でもいい。
そうすればリアリティーになる。
リアリティーは体の外側にあるのだ。
常に起点でありたいと私は思う。中心ではなくていい。
地球は太陽系の中心ではない。
太陽系も天の川銀河の中心にない。
でも、地球は自転し、太陽は自ら燃え、銀河系は渦を巻いている。
「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同 胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか」
人は独りでは弱い。
「誰かがやってくれるだろう」だとか
「別に自分がしなくても」とつい思ってしまう。
誰もがそうだ。
政治にしても「民主党はどう変えてくれるのか」だとか
環境問題にしても「個人よりも企業が動かなきゃ」だとか。
人がどうじゃない。
自分がアクションをおこすかどうかだ。
どんな小さな事でもいい。
そうすればリアリティーになる。
リアリティーは体の外側にあるのだ。
常に起点でありたいと私は思う。中心ではなくていい。
地球は太陽系の中心ではない。
太陽系も天の川銀河の中心にない。
でも、地球は自転し、太陽は自ら燃え、銀河系は渦を巻いている。
2009年10月1日木曜日
At least you get your foot in the door
腰を痛めました。
歩けなくなるほどに・・・
電気治療とウォーキングのリハビリで小走りぐらいはできるようになりました。
でも気がつくと体をそらして歩いていたり
立った時に「ピキ」っとサインを出してくれます。
このケガはサインだと思います。
体の要をいためてしまう事は、これからの私に対して重要な決断をしろという宇宙からのサインではないかと。
どっちつかずで手広く就職活動をしてみたり、公務員試験を受けてみたり、就職せずに大学院へいこうか考えてみたり。
その他将来の目標につながりそうな道を探してきました。
それでも、「コレだ」と思う道をすんなりと通らせてくれるほど順調でもなく。
自分の目指す方向を既存のモノに押し込めるようにとりつくろっても、そんな道は門前払い。
やきもきする日々が続いていました。
それも腰が治るころには覚悟を決めているでしょう。
At least you get your foot in the door
ついさっき、話した友人がくれた言葉です
歩けなくなるほどに・・・
電気治療とウォーキングのリハビリで小走りぐらいはできるようになりました。
でも気がつくと体をそらして歩いていたり
立った時に「ピキ」っとサインを出してくれます。
このケガはサインだと思います。
体の要をいためてしまう事は、これからの私に対して重要な決断をしろという宇宙からのサインではないかと。
どっちつかずで手広く就職活動をしてみたり、公務員試験を受けてみたり、就職せずに大学院へいこうか考えてみたり。
その他将来の目標につながりそうな道を探してきました。
それでも、「コレだ」と思う道をすんなりと通らせてくれるほど順調でもなく。
自分の目指す方向を既存のモノに押し込めるようにとりつくろっても、そんな道は門前払い。
やきもきする日々が続いていました。
それも腰が治るころには覚悟を決めているでしょう。
At least you get your foot in the door
ついさっき、話した友人がくれた言葉です
2009年8月24日月曜日
宇宙は一つだ。だから、無限だ。
楽しむこと。
それが、すべての秘訣の一つであり、最も重要なこと。
と、よくいいます。
私も、そう思います。
だから、「楽しくない」と思ったらするべきではないし、しないようさけるべきではないでしょうか。
それは、「逃げ」ではなく「選択」
「楽しくなさそうなもの」をしないのは「逃げ」
その中に、楽しいことが含まれているかもしれない。
その「楽しくなさそうなもの」のなかの「楽しいこと」を見逃さないために必要なことは。
感じること。
宇宙の声を
小宇宙の声を。
それが、すべての秘訣の一つであり、最も重要なこと。
と、よくいいます。
私も、そう思います。
だから、「楽しくない」と思ったらするべきではないし、しないようさけるべきではないでしょうか。
それは、「逃げ」ではなく「選択」
「楽しくなさそうなもの」をしないのは「逃げ」
その中に、楽しいことが含まれているかもしれない。
その「楽しくなさそうなもの」のなかの「楽しいこと」を見逃さないために必要なことは。
感じること。
宇宙の声を
小宇宙の声を。
2009年6月4日木曜日
島人
TVほど生産性のないメディアは無いと、帰国して感じました。
見るのはNHKの番組と、キー局のニュース。そして弟の見るドラマ。ぐらいでしょうか。
後は、本か新聞。 そして昔買ったアニメのDVD。
本題ですが、日本人は「外国で評価されたモノ=スゴイモノ」という図式から抜け出せていないなーと多くの面で感じます。
「邦画が、海外の映画祭で絶賛された」から「その映画は」すごい。
だとか
「海外で売れた音楽家」だから「その人の音楽は」すごい。
などです。
古くは葛飾北斎。最近では宮崎駿。Boom Boom Satellites。千住博。押井守。などなど。
押井守がアニメファンだけでなく、広く一般に知られる事になったのが「イノセンス」。
攻殻機動隊の劇場2作目です。
映画は売ってなんぼですから、PRしないとしかたがないのですが、悲しい事にこの映画の売り出し方が「この監督は前作『Ghost in the Shell』でアノBillboardでセルビデオランクで1位をとった!」という宣伝の仕方でした。
このやり方がいい、悪いの話ではなく私は日本人の自分達の中にある評価基準が低い事を指摘したい。いや、むしろ個人レベルでのそれがない事に危機感を覚えます。
消費者一人一人、確固たる物差しを持つ事が必要ではないでしょうか?モノを評価する際、「あの人が良いといったからいい」や「すごい文化人が評価してたからいいものだ」という物事の評価の仕方は違うはずです。
でなければ、いつまでたっても日本は海外の情報やトレンドに振り回され、確固たる「日本」を築けないでいるでしょう。
国や日本人としてのよりどころ、「他人がどー言おうが、自分達はコレを自身の源にしている」というものを持っていた方が、今後の文化や人の流入流出の際に解け崩れていかないのではないでしょうか。
しかしここまで考察して、命題を自ら壊してしまいますが、
形あるものにこだわらず常に流れ変わりゆくモノがその日本人としての「確固たるモノ」なような気もします。
茶道の型のように、花道が空間を作り出すように。
しまんちゅうにはなれないのでしょうか。
しかし、うみんちゅうは2度と同じ形をしない波の様に己を表現するでしょう。
見るのはNHKの番組と、キー局のニュース。そして弟の見るドラマ。ぐらいでしょうか。
後は、本か新聞。 そして昔買ったアニメのDVD。
本題ですが、日本人は「外国で評価されたモノ=スゴイモノ」という図式から抜け出せていないなーと多くの面で感じます。
「邦画が、海外の映画祭で絶賛された」から「その映画は」すごい。
だとか
「海外で売れた音楽家」だから「その人の音楽は」すごい。
などです。
古くは葛飾北斎。最近では宮崎駿。Boom Boom Satellites。千住博。押井守。などなど。
押井守がアニメファンだけでなく、広く一般に知られる事になったのが「イノセンス」。
攻殻機動隊の劇場2作目です。
映画は売ってなんぼですから、PRしないとしかたがないのですが、悲しい事にこの映画の売り出し方が「この監督は前作『Ghost in the Shell』でアノBillboardでセルビデオランクで1位をとった!」という宣伝の仕方でした。
このやり方がいい、悪いの話ではなく私は日本人の自分達の中にある評価基準が低い事を指摘したい。いや、むしろ個人レベルでのそれがない事に危機感を覚えます。
消費者一人一人、確固たる物差しを持つ事が必要ではないでしょうか?モノを評価する際、「あの人が良いといったからいい」や「すごい文化人が評価してたからいいものだ」という物事の評価の仕方は違うはずです。
でなければ、いつまでたっても日本は海外の情報やトレンドに振り回され、確固たる「日本」を築けないでいるでしょう。
国や日本人としてのよりどころ、「他人がどー言おうが、自分達はコレを自身の源にしている」というものを持っていた方が、今後の文化や人の流入流出の際に解け崩れていかないのではないでしょうか。
しかしここまで考察して、命題を自ら壊してしまいますが、
形あるものにこだわらず常に流れ変わりゆくモノがその日本人としての「確固たるモノ」なような気もします。
茶道の型のように、花道が空間を作り出すように。
しまんちゅうにはなれないのでしょうか。
しかし、うみんちゅうは2度と同じ形をしない波の様に己を表現するでしょう。
2009年5月28日木曜日
焦燥感
先日、晴れて大学を卒業しました。
アメリカ生活5年でたどり着いた一つの節目です。
ただ、タッセルを左にターンしてもセレモニーというモノの意味深さというのは、日本のそれとはやはり比べ物にならず、実感がありません。
それは、帰国後2週間ほど過ぎた今でもそうです。
アメリカの大学だからどうだとかいう事ではないのですが、やはり私の中では一つの特別な事。
この内面の特別性を意味のあるものとするのは、これからの私の行動と結果です。
2週間、身辺整理をしながら充電をしました。
体の内から出てくる、焦燥感と言いますか「このままでは・・・」という気持ちが私を突き動かそうとしています。
さて、何から始めようか。
アメリカ生活5年でたどり着いた一つの節目です。
ただ、タッセルを左にターンしてもセレモニーというモノの意味深さというのは、日本のそれとはやはり比べ物にならず、実感がありません。
それは、帰国後2週間ほど過ぎた今でもそうです。
アメリカの大学だからどうだとかいう事ではないのですが、やはり私の中では一つの特別な事。
この内面の特別性を意味のあるものとするのは、これからの私の行動と結果です。
2週間、身辺整理をしながら充電をしました。
体の内から出てくる、焦燥感と言いますか「このままでは・・・」という気持ちが私を突き動かそうとしています。
さて、何から始めようか。
2009年1月5日月曜日
旅する意味
「旅」とはいつも私を不思議な感覚へ押しやってくれる。「常に気を張っておく」というか「常に刺激にさらされている」というかバックパック一つでこの身を守らなければならない状況はいつどこへ赴いても、「感性が逆立つような」そんな独特な感覚を私に与えてくれる。
南米ではアルパカのニットキャップやポンチョをふっかけてくるインディヘナに出くわした時、日本語で「ともだち」とかなんとか言いながらツアーのビラを差し出してくるやつからそのビラを受け取る時。そいういう感覚が増幅される。
そしてあらためて「旅をしている」と自覚され、その自覚がまた自分の今の状況を楽しく、刺激的に、そして興奮させてくれる。
以前から旅をする理由について考えていた。もちろん世界各国の世界中に散らばったバックパッカーたちは、それぞれの理由で旅を続けている。
世界をその目で見たがる者。旅は最高のエンターテイメントだと豪語する者。ただただ好きだからという者。
それぞれだ。
私の旅する理由もその時どきで変わって来た。それでもその根底にあるモノは変わっていないと思っていた。そしてそれがなにか言葉で表現する事ができないでいた。「世界をみたい」とか「楽しみたい」とかそういうものの根底にあるモノ。
それは好奇心だ。
ある小さな好奇心が私を旅立たせ、旅先の空気、自然、街、遺跡、人がその好奇心をみたしてくれ、その満たされた好奇心がさらに別の次元の好奇心をかき立ててくれる。
そうなることで、私は自己の感性を敏感にたもとうとしているのではないだろうか。
「人生とは旅だ」とよく形容されるが、感性を敏感に保ち、好奇心でさらなる好奇心を奮い立たせる事。 それが、人間が魅力的に生きていく上で大切な事ではないだろうか。
ある人は、好奇心を「読書」で奮い立たせているかもしれない。ある人は「音楽」で感性を敏感にしているのかもしれない。
その感性と好奇心を高い次元で保つ方法が私の場合旅なのだ。
今回の南米への旅は今まで行った何処よりもその感性が逆立つ感覚を覚えた旅だった。
2008年12月22日月曜日
旅日記1
今、ペルーはクスコにいます。
12月18日にペルー入りし、クスコまで長距離バスでえっちらおっちらやってきたしだいです。
ホントはバスチケット買うときに「ナスカ」って言ったつもりが「クスコ」になっていたのは内緒です。
おかげで30時間バスに揺られっぱなしでしたw
バスでクスコまで上がってくる途中、プーノと言う標高4000m弱のところあたりから、高山病にかかり、頭痛と食欲低下とグロッキー状態で、いっそのこと、「クスコまで行かなくてもいいんじゃないか?」とか「なんで、金払ったけどケチらずにナスカで降りなかった?」とかいろいろめぐらせながらいたところ
泣きっ面に蜂とはこのことで、バス酔いです・・・
計4~5回ほど、吐かせていただきました。。
かなりグロい話ができるんですが、ここは割愛させていただきます。
そうして、クスコで高山病と戦いながら(カゼもひいたかも?)明日からマチュ・ピチュです!!
今回の旅メインディッシュ①です。
間違ってクスコまできちゃったけど、結果オーライってことで!!
では
12月18日にペルー入りし、クスコまで長距離バスでえっちらおっちらやってきたしだいです。
ホントはバスチケット買うときに「ナスカ」って言ったつもりが「クスコ」になっていたのは内緒です。
おかげで30時間バスに揺られっぱなしでしたw
バスでクスコまで上がってくる途中、プーノと言う標高4000m弱のところあたりから、高山病にかかり、頭痛と食欲低下とグロッキー状態で、いっそのこと、「クスコまで行かなくてもいいんじゃないか?」とか「なんで、金払ったけどケチらずにナスカで降りなかった?」とかいろいろめぐらせながらいたところ
泣きっ面に蜂とはこのことで、バス酔いです・・・
計4~5回ほど、吐かせていただきました。。
かなりグロい話ができるんですが、ここは割愛させていただきます。
そうして、クスコで高山病と戦いながら(カゼもひいたかも?)明日からマチュ・ピチュです!!
今回の旅メインディッシュ①です。
間違ってクスコまできちゃったけど、結果オーライってことで!!
では
2008年9月7日日曜日
言葉という名の人類の限界
2年前、アウシュビッツ強制収容所を訪れた私は、初めてこの体で受け止めきれない感情の波、衝撃を受けました。心のそこから涙があふれ、哀しみでもない、憎しみでもない、怒りでもない、どうしても言葉が見つからない思いを持ちました。
言葉を持ってしまった人類は、幸福であるのと同時に、自らの限界を設定してしまった。
そう最近人と話をしていて発見しました。
よく「言葉にできない感情」や「言葉では言い表せない」という表現があるように、自分の感情や気持ち、伝えたいことばを的確に表現し切れている言葉あるのでしょうか。
例えば、すばらしい音楽を聴いたときにすっと流れた涙とそのときにこみ上げてきた感情をどう的確に表現するのか。先ほど記したアウシュビッツで受けた感情のように。
言葉を持ってしまったがために、そういう「多くの感情が入り混じった感情」を表現しきれなくなってしまった人類。既存の言葉で表現しようと試みてしまうこと。つまり既存の言葉という四角い枠組みに自らの円くかつ多種多様な形をした感情を押し込んでしまうことの不幸。
もし、その特定の形をした感情を「〇〇」という言葉で表せたなら、人はもっと人と分かり合えるのだろうに。そう感じます。
しかし、それと同時に、その現在は言葉にできない感情を、ある特定の言葉で表してしまったなら、新たな枠組みを作ってしまうことになり、さらに多くの制限を自らに課してしまうことになります。
これが人類の限界なのでしょうか。
ちょっとした、誤解や、misunderstandingでいがみ合い憎み合い、戦争をしてしまう人類の。
言葉を持ってしまった人類は、幸福であるのと同時に、自らの限界を設定してしまった。
そう最近人と話をしていて発見しました。
よく「言葉にできない感情」や「言葉では言い表せない」という表現があるように、自分の感情や気持ち、伝えたいことばを的確に表現し切れている言葉あるのでしょうか。
例えば、すばらしい音楽を聴いたときにすっと流れた涙とそのときにこみ上げてきた感情をどう的確に表現するのか。先ほど記したアウシュビッツで受けた感情のように。
言葉を持ってしまったがために、そういう「多くの感情が入り混じった感情」を表現しきれなくなってしまった人類。既存の言葉で表現しようと試みてしまうこと。つまり既存の言葉という四角い枠組みに自らの円くかつ多種多様な形をした感情を押し込んでしまうことの不幸。
もし、その特定の形をした感情を「〇〇」という言葉で表せたなら、人はもっと人と分かり合えるのだろうに。そう感じます。
しかし、それと同時に、その現在は言葉にできない感情を、ある特定の言葉で表してしまったなら、新たな枠組みを作ってしまうことになり、さらに多くの制限を自らに課してしまうことになります。
これが人類の限界なのでしょうか。
ちょっとした、誤解や、misunderstandingでいがみ合い憎み合い、戦争をしてしまう人類の。
登録:
投稿 (Atom)