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2009年8月24日月曜日

宇宙は一つだ。だから、無限だ。

楽しむこと。

それが、すべての秘訣の一つであり、最も重要なこと。

と、よくいいます。

私も、そう思います。

だから、「楽しくない」と思ったらするべきではないし、しないようさけるべきではないでしょうか。

それは、「逃げ」ではなく「選択」

「楽しくなさそうなもの」をしないのは「逃げ」

その中に、楽しいことが含まれているかもしれない。

その「楽しくなさそうなもの」のなかの「楽しいこと」を見逃さないために必要なことは。

感じること。

宇宙の声を
小宇宙の声を。

2008年9月7日日曜日

言葉という名の人類の限界

 2年前、アウシュビッツ強制収容所を訪れた私は、初めてこの体で受け止めきれない感情の波、衝撃を受けました。心のそこから涙があふれ、哀しみでもない、憎しみでもない、怒りでもない、どうしても言葉が見つからない思いを持ちました。

言葉を持ってしまった人類は、幸福であるのと同時に、自らの限界を設定してしまった。

そう最近人と話をしていて発見しました。
よく「言葉にできない感情」や「言葉では言い表せない」という表現があるように、自分の感情や気持ち、伝えたいことばを的確に表現し切れている言葉あるのでしょうか。

例えば、すばらしい音楽を聴いたときにすっと流れた涙とそのときにこみ上げてきた感情をどう的確に表現するのか。先ほど記したアウシュビッツで受けた感情のように。

言葉を持ってしまったがために、そういう「多くの感情が入り混じった感情」を表現しきれなくなってしまった人類。既存の言葉で表現しようと試みてしまうこと。つまり既存の言葉という四角い枠組みに自らの円くかつ多種多様な形をした感情を押し込んでしまうことの不幸。
もし、その特定の形をした感情を「〇〇」という言葉で表せたなら、人はもっと人と分かり合えるのだろうに。そう感じます。
しかし、それと同時に、その現在は言葉にできない感情を、ある特定の言葉で表してしまったなら、新たな枠組みを作ってしまうことになり、さらに多くの制限を自らに課してしまうことになります。

これが人類の限界なのでしょうか。
ちょっとした、誤解や、misunderstandingでいがみ合い憎み合い、戦争をしてしまう人類の。

2007年10月17日水曜日

〜アル・ゴアのノーベル平和賞受賞〜

  "An Inconvenient Truth"を鑑賞したのは、去年のことだ。「こんなひとだったっけ?」が最初の印象だった。映画は冒頭から最後まで、淡々と続く。

確かに、内容はすばらしい。しかし、大半が小中学校で教わったことだった。エコロジー先進国、欧州各国や日本などでは、誰でもとまではいかないにしても、ある程度は一般化されていることを彼は話していた。

  アメリカで生活をし始めて3年。アメリカのエコロジーに対する認識は先進諸国としてはお粗末と表現してもしきれないぐらい酷い。
小学生の背丈ほどある、緑色のゴミ箱のなかには、生ゴミ、瓶、缶、ペットボトル、紙。はたまた粗大ゴミまで。「ゴミ」と認識されているものすべてが詰められている。
その「ゴミ」と認識されるものはすべて大地にうめられる。 
ボクが生活していたところが田舎だったからなのかもしれない。都会はまだましだろう。
それにしても、酷いのだ。
このような一般人のエコロジーに対する認識では、京都議定書を無視する理由もうなずける。

  エコロには金がかかる。手間もかかる。
国民には分別を呼びかける。広いアメリカである。意識の普及にもそれ相当の資金がいるだろう。
分別されたゴミは何時、誰が回収しにいくのか?
そして、どのゴミをどこへ持っていくのか。それぞれの再利用施設を作らないといけないだろう。それもかなりの数を。

戦争をしている国がそんなことに金や手間、時間をかれるはずもないだろう。

"An Inconvenient Truth"の話にもどろう。
そういう、アメリカ人の意識を考慮すれば、”アメリカ人にとっては”考えさせられる映画だったかもしれない。そして、これからエコロジー対策をしていく国、またはしなければならない国(すべての国ではあるが)にとってはすばらしい内容の映画だっただろう。

そういうところを考慮され、ノーベル賞を受賞したのかもしれない。

  私は現在、カナダで生活をしている。寮暮らしではあるが、ゴミは分別するよう指定してある。パリで少しばかり生活したが、街には瓶を回収する巨大な回収箱をよく目にした。 

  しかし、日本の実家に帰ると、ゴミ箱に無意識のうちにペットボトルを捨てて、母に注意された。最低な行為であった。来年にはアメリカに帰るが、アメリカでもゴミの分別を意識してしようと思う。

いまだからこそ、 ”Think Global, Act Local”である。