ラベル world の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル world の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009年12月7日月曜日

 前半サッカーの話。後半政治の話です。

 何事も目的が明文化もしくは明確になっていないと過程は不確実になり、その結果その目的までもブレてしまいます。

個人においては時間の経過と感情の経由がそれを引き起こさせ、組織においては関わった人の数とその関わりあいが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アビスパ福岡は毎年J1昇格(その目標自体が足下を見ていないと個人的にかんじるのだが)といいながらもそれを実現するための具体策を講ずることはなく。
はっきりいって昇格を決めた2005年の時のような雰囲気づくりを今シーズン、フロントは仕掛けていなかったし、チームスタッフもそう。

「結果の責任を選手だけがとった」とは私は言いません。事実ゲームをしたのは彼らなのですから。彼らにも責任の一端はある。
 が、事実9名の選手がそれをとりました。

ではフロントは?チームスタッフは?サポーターは?

辞めることが必ずしも「責任をとる」ということではありません。それに現体制の継続を決めたフロントとそれを受けたチームスタッフが取るべき責任とは現段階ではプロスポーツチーム、フロントとして成長と変化しようという姿勢を見せること。
 
先日のホーム最終戦。人それぞれ感情、考え方を否定するつもりではありませんが、人の話を聞かないで文句だけ言うのは子供と一緒でしょうし、国会で野次る政治家と変わりありません。

勝つためにはチーム、サポーター、フロントの3者が一つにならなければならないのです。

わたしはサポーターがそれを放棄してしまったように思えてなりません。

確かに信頼することのできないフロントです。しかし私たちがそれを、チームとフロントを長い目で見守り、信頼し続けなければ、フロントは「なにをやってもブーイングされるよ」と身を固めてしまいます。

好きな人の笑顔を見る最もシンプルかつ効果的な方法は自分がその人に微笑みかけることです。
これが私たちの今シーズンの反省と責任。来シーズンへの宿題です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変わって政治の話です。
ちょっと古いのですが事業仕分けについて。
「目的の明文化」という点でサッカーネタと同じエントリーで。

 鳩山首相の事業仕分けの最初の目的は何だったのでしょうか。
①来年度予算の見直しと無駄を省くこと。
②天下り法人の洗い出しと撲滅。
③無駄を省いたうえでの子供手当などの財源確保。
といったところでしょうか。

勝手な想像ですが、首相は全部をやれると思ったのでしょうし、それがりそうだった。しかし、あまりにも短期間にすべてを詰め込みす、そのため目的がぶれてしまった。
しかも、数字だけを目標にしてしまったためか血の通わないやりかたになってしまった。

科学分野の知識人、オリンピックメダリストたちの抗議はそのいい例です。

鳩山政権は八方美人の理想家。

事業仕分けも優先順位をつけて行うべきだったし、仕分け人の選定も国民には不透明でした。
例えば、「天下り撲滅」を最優先にするとすれば、そこに焦点をしぼるべきでした。
私は事業仕分けを否定している訳ではありませんがもう少し目的に優先順位をつけ時間をかけるべきだったのでは?と感じます。
ただ、来年度予算と国会の期日を考えるといそがないといけなかったのも事実ですが・・・

首相は初めて政権をとって、短期で結果を出そうと「アレもコレも」になっています。
でないと次の選挙で自民党に政権を奪還されるのを恐れているからなのでしょうが・・・

いい加減、政争というものをやめていただきたい。
一国民国家としての目的が政争のためにブレ、国として何の進歩もしない時代が続いてしまいます。
自民・民主・その他の政党すべてが日本という国の中でのPlayerなのですから。
Think Global, Act Local. です。

次のエントリーはこれに関連してParadigm Shiftについてです。

2008年1月6日日曜日

~人の死とその遺志〜

  昨年の3月、私は一人の意思ある人と二言三言、言葉を交わさせていただきました。
  それは"What are you studying?" "Good Luck." とどこにでも転がっていそうな言葉ではあったけれども、私がしたいと思っている仕事に近い仕事をしようとしている彼女にそういう言葉をかけていただいた事は、とても励みになりました。

  昨年の3月中旬、私の大学に Benazir Bhutto氏が講演にいらっしゃいました。彼女は亡き父の遺志を継ぎ、亡命生活に終止符を打ち彼女が育だち、子供たちを育てたい土地へと舞い戻り、彼女の成すべきをとをする、とおっしゃっていました。
  生徒会(のようなもの)に参加している私は講演後のレセプションに参加させてもらいました。そこで、上に書いたような言葉をいただいたのですが、とても落ち着いた方で気品にあふれ堂々としていました。
  
  それから、1年もしないうち彼女は故郷に戻り、そして亡き人となりました。

  非常に残念なのは言うまでもなく、「彼女がなくなったからパキスタンの政権安定化は何年先になった」とか「パキスタンの民主化は暗礁に乗り上げた」だとかそういうことではなく、一人の意思ある人間が亡くなったということが、私にとってはたまらなく残念で、悲しくあります。
  たった二十数年しか生きていない私ですから、「話をした事がある人」の死を身近にした事があまりありません。 ただただ御冥福を祈るばかりです。

  暗殺の実行犯はアル・カイダと何らかの関係があるという報道が大体の見方ですが、真相はすでに闇の中。
  どんなに、悲しんでもshow must go on。 
  一刻も早いパキスタンの安定化が彼女への手向けになるはずです。