2009年1月5日月曜日

旅する意味


 「旅」とはいつも私を不思議な感覚へ押しやってくれる。「常に気を張っておく」というか
「常に刺激にさらされている」というかバックパック一つでこの身を守らなければならない状況はいつどこへ赴いても、感性が逆立つような」そんな独特な感覚を私に与えてくれる。

 南米ではアルパカのニットキャップやポンチョをふっかけてくるインディヘナに出くわした時、日本語で「ともだち」とかなんとか言いながらツアーのビラを差し出してくるやつからそのビラを受け取る時。そいういう感覚が増幅される。 
 そしてあらためて「旅をしている」と自覚され、その自覚がまた自分の今の状況を楽しく、刺激的に、そして興奮させてくれる。

 以前から旅をする理由について考えていた。もちろん世界各国の世界中に散らばったバックパッカーたちは、それぞれの理由で旅を続けている。
世界をその目で見たがる者。旅は最高のエンターテイメントだと豪語する者。ただただ好きだからという者。
それぞれだ。

 私の旅する理由もその時どきで変わって来た。それでもその根底にあるモノは変わっていないと思っていた。そしてそれがなにか言葉で表現する事ができないでいた。「世界をみたい」とか「楽しみたい」とかそういうものの根底にあるモノ。

 それは好奇心だ。
 
 ある小さな好奇心が私を旅立たせ、旅先の空気、自然、街、遺跡、人がその好奇心をみたしてくれ、その満たされた好奇心がさらに別の次元の好奇心をかき立ててくれる。
 そうなることで、私は自己の感性を敏感にたもとうとしているのではないだろうか。

 「人生とは旅だ」とよく形容されるが、感性を敏感に保ち、好奇心でさらなる好奇心を奮い立たせる事。 それが、人間が魅力的に生きていく上で大切な事ではないだろうか。
 ある人は、好奇心を「読書」で奮い立たせているかもしれない。ある人は「音楽」で感性を敏感にしているのかもしれない。 

 その感性と好奇心を高い次元で保つ方法が私の場合旅なのだ。
 
 今回の南米への旅は今まで行った何処よりもその感性が逆立つ感覚を覚えた旅だった。

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