2009年8月24日月曜日

宇宙は一つだ。だから、無限だ。

楽しむこと。

それが、すべての秘訣の一つであり、最も重要なこと。

と、よくいいます。

私も、そう思います。

だから、「楽しくない」と思ったらするべきではないし、しないようさけるべきではないでしょうか。

それは、「逃げ」ではなく「選択」

「楽しくなさそうなもの」をしないのは「逃げ」

その中に、楽しいことが含まれているかもしれない。

その「楽しくなさそうなもの」のなかの「楽しいこと」を見逃さないために必要なことは。

感じること。

宇宙の声を
小宇宙の声を。

2009年6月4日木曜日

島人

 TVほど生産性のないメディアは無いと、帰国して感じました。
見るのはNHKの番組と、キー局のニュース。そして弟の見るドラマ。ぐらいでしょうか。
後は、本か新聞。 そして昔買ったアニメのDVD。 

 本題ですが、日本人は「外国で評価されたモノ=スゴイモノ」という図式から抜け出せていないなーと多くの面で感じます。
「邦画が、海外の映画祭で絶賛された」から「その映画は」すごい。
だとか
「海外で売れた音楽家」だから「その人の音楽は」すごい。
などです。
古くは葛飾北斎。最近では宮崎駿。Boom Boom Satellites。千住博。押井守。などなど。

押井守がアニメファンだけでなく、広く一般に知られる事になったのが「イノセンス」。
攻殻機動隊の劇場2作目です。
映画は売ってなんぼですから、PRしないとしかたがないのですが、悲しい事にこの映画の売り出し方が「この監督は前作『Ghost in the Shell』でアノBillboardでセルビデオランクで1位をとった!」という宣伝の仕方でした。

このやり方がいい、悪いの話ではなく私は日本人の自分達の中にある評価基準が低い事を指摘したい。いや、むしろ個人レベルでのそれがない事に危機感を覚えます。

消費者一人一人、確固たる物差しを持つ事が必要ではないでしょうか?モノを評価する際、「あの人が良いといったからいい」や「すごい文化人が評価してたからいいものだ」という物事の評価の仕方は違うはずです。
でなければ、いつまでたっても日本は海外の情報やトレンドに振り回され、確固たる「日本」を築けないでいるでしょう。

国や日本人としてのよりどころ、「他人がどー言おうが、自分達はコレを自身の源にしている」というものを持っていた方が、今後の文化や人の流入流出の際に解け崩れていかないのではないでしょうか。

しかしここまで考察して、命題を自ら壊してしまいますが、

形あるものにこだわらず常に流れ変わりゆくモノがその日本人としての「確固たるモノ」なような気もします。
茶道の型のように、花道が空間を作り出すように。

しまんちゅうにはなれないのでしょうか。
しかし、うみんちゅうは2度と同じ形をしない波の様に己を表現するでしょう。

2009年5月28日木曜日

焦燥感

 先日、晴れて大学を卒業しました。
アメリカ生活5年でたどり着いた一つの節目です。
ただ、タッセルを左にターンしてもセレモニーというモノの意味深さというのは、日本のそれとはやはり比べ物にならず、実感がありません。
それは、帰国後2週間ほど過ぎた今でもそうです。

アメリカの大学だからどうだとかいう事ではないのですが、やはり私の中では一つの特別な事。
この内面の特別性を意味のあるものとするのは、これからの私の行動と結果です。

2週間、身辺整理をしながら充電をしました。
体の内から出てくる、焦燥感と言いますか「このままでは・・・」という気持ちが私を突き動かそうとしています。

さて、何から始めようか。

2009年1月5日月曜日

旅する意味


 「旅」とはいつも私を不思議な感覚へ押しやってくれる。「常に気を張っておく」というか
「常に刺激にさらされている」というかバックパック一つでこの身を守らなければならない状況はいつどこへ赴いても、感性が逆立つような」そんな独特な感覚を私に与えてくれる。

 南米ではアルパカのニットキャップやポンチョをふっかけてくるインディヘナに出くわした時、日本語で「ともだち」とかなんとか言いながらツアーのビラを差し出してくるやつからそのビラを受け取る時。そいういう感覚が増幅される。 
 そしてあらためて「旅をしている」と自覚され、その自覚がまた自分の今の状況を楽しく、刺激的に、そして興奮させてくれる。

 以前から旅をする理由について考えていた。もちろん世界各国の世界中に散らばったバックパッカーたちは、それぞれの理由で旅を続けている。
世界をその目で見たがる者。旅は最高のエンターテイメントだと豪語する者。ただただ好きだからという者。
それぞれだ。

 私の旅する理由もその時どきで変わって来た。それでもその根底にあるモノは変わっていないと思っていた。そしてそれがなにか言葉で表現する事ができないでいた。「世界をみたい」とか「楽しみたい」とかそういうものの根底にあるモノ。

 それは好奇心だ。
 
 ある小さな好奇心が私を旅立たせ、旅先の空気、自然、街、遺跡、人がその好奇心をみたしてくれ、その満たされた好奇心がさらに別の次元の好奇心をかき立ててくれる。
 そうなることで、私は自己の感性を敏感にたもとうとしているのではないだろうか。

 「人生とは旅だ」とよく形容されるが、感性を敏感に保ち、好奇心でさらなる好奇心を奮い立たせる事。 それが、人間が魅力的に生きていく上で大切な事ではないだろうか。
 ある人は、好奇心を「読書」で奮い立たせているかもしれない。ある人は「音楽」で感性を敏感にしているのかもしれない。 

 その感性と好奇心を高い次元で保つ方法が私の場合旅なのだ。
 
 今回の南米への旅は今まで行った何処よりもその感性が逆立つ感覚を覚えた旅だった。

2008年12月22日月曜日

旅日記1

今、ペルーはクスコにいます。

12月18日にペルー入りし、クスコまで長距離バスでえっちらおっちらやってきたしだいです。

ホントはバスチケット買うときに「ナスカ」って言ったつもりが「クスコ」になっていたのは内緒です。

おかげで30時間バスに揺られっぱなしでしたw
バスでクスコまで上がってくる途中、プーノと言う標高4000m弱のところあたりから、高山病にかかり、頭痛と食欲低下とグロッキー状態で、いっそのこと、「クスコまで行かなくてもいいんじゃないか?」とか「なんで、金払ったけどケチらずにナスカで降りなかった?」とかいろいろめぐらせながらいたところ

泣きっ面に蜂とはこのことで、バス酔いです・・・

計4~5回ほど、吐かせていただきました。。
かなりグロい話ができるんですが、ここは割愛させていただきます。

そうして、クスコで高山病と戦いながら(カゼもひいたかも?)明日からマチュ・ピチュです!!
今回の旅メインディッシュ①です。
間違ってクスコまできちゃったけど、結果オーライってことで!!
では