2010年12月11日土曜日

レースレポート<第80回カントリーレース>

12月5日に行われました。
スタートは採銅所(日豊本線)付近の牛斬山登山口。
牛斬山ー福知山を越え、皿倉平がゴールの24km。
結果は3h53min。31位。
レース前の目標が4時間で40位でしたので
91人中31位、タイムもSub4で満足です。
99%がトレイルで前半は開けたトラック。後半は森の中を抜けるコース。

気持ちよかったです。

作戦は
・前半絶対に飛ばさない(激坂の念仏坂だけはラインどりをストレートにして飛ばす)
・福知山の下りまでは飛ばさない
・福知山を下り終えてからスピードを上げる
・最後の皿倉山ののぼりを走り登る

ほぼ全ての作戦はこなせました。
しかし、やはり課題も残るもの
・調整不足と寝不足
・筋持久力
・ダウンヒルで脚の甲が痛くなる(靴紐を締めすぎorあっていない)
・なので、得意の下りを飛ばせない

前回のレースから改善できた点として
・レース全体をみた体力の折り合いをつけられるようになったこと
・ふくらはぎがつっても、止まらずに走り方を変えながら治せたこと
これが今年最後のレース。
日本最後のレース(かもしれない)。

訓練所でも走ってきます。
入所準備しなきゃ・・・

2010年11月5日金曜日

レースレポートー金峰三山山岳マラソンー


トレランレポートです。

熊本市の金峰山・二の岳・三の岳を上り下りするコース42km。

正直な感想として、トレイルランナーとしては非常に苦しいレースでした。
トレイル率はきわめて低く、ほぼロードの路面。
山も急な上り下りの連続で楽しめるトレイルは限られていました。

ロードでの急坂は上りも下りも、筋肉・関節に響きます・・・
ストレスがたまるレース・・・


最後の最後までがんばりすぎない事を心がけてましたが、前半の前半で足を使い過ぎ・・・これは性格でしょうか・・・
トレイルで他の選手を抜いても、ロードでの基礎スピードが違うので追いつかれ、抜かれ・・・

結果、5h 48minの112位。
111位まで後2秒。最後のスパートで追いつけませんでした。。。

ストレスのたまるレースでしたが、ボランティアスタッフの方や運営スタッフの方はあたたかく、welcomeな雰囲気で気持ちがよかったです。

課題も見えました。
・ロードでの走り込み(月間150kmは走らないと)ーやっぱり基本。
・腹筋の強化と体全体の筋持久力アップ。ー上下運動がつづくとつりそうにいたくなるので。
・内転筋の強化。ー上りの時膝が開いてしまい力を分散してしまっているので。
・前半の前半で自分のペースより早い人に引っ張られようとした点。ーレースの早い段階で同じペースの人を見つけるのが大事。

評価できる点として
・山でのテクニックーうまくなっている実感があり、下りも飛ばして全く怖くない。
・補給のタイミングと効果的な摂り方。
・気持ちを押さえるところで押さえられた点。

次は、採銅所ー皿倉山カントリーレース。
こちらは100%トレイルのレース。
すっごい楽しみで、すっごい楽しみたいので、すっごい練習しよう!

2010年10月23日土曜日

国際協力の仕事場

すこし、自分の事を書きます。おつきあいください。

世界は地続きである。

そう思えたからこそ、この世界に飛び込みました。
新卒で就職せずに。
NGOを経て、来年からJOCVでウガンダで仕事をします。
修士での勉強もしたくて、この夏に東大大学院を受験し、幸運にもに合格をしましたが、ウガンダに行く事を選びました。
その理由は
「ドナーでなく、パートナーとして仕事をする」
このコトバにつきます。

「援助者=被援助者」の関係でなく「仕事仲間」としての関係で途上国の人と接していける事が今後の数十年間仕事をしていく中で最も必要なことだと考えました。
知識や仕事力よりもこの「姿勢」が今一番、これから一番必要なものだと感じています。
それがなければ、どんな知識を身につけても、どんなにすばらしい研究結果を導きだせても、私の考えや思いは決して途上国の人たちに届かない。

国際協力の世界で働く上で一番必要なことがその「姿勢」でありそれは現場にいく事で培われていくものだと思っています。

理想は新卒者の就職の選択肢の中にNGOや国際協力業界があることです。
そうすれば、多くの人材とアイディアが国際協力に入ってきます。
そのためには、NGOやこの業界が人材を育てられるだけの基盤を持つ事。
その基盤を持つために財政基盤の確保と教育者の確保がひつようです。
とはいっても、現実問題この世界に飛び込んでも食べていけません。食べていけているのはJICAに新卒で入った方々のみです。

そこに風穴をあけていく。
私の通ったところが獣道ぐらいにはなるだろうと信じて。
多くの人に育てられました。家族や友人、仕事仲間などなど。みんなへの恩返しは国際協力no仕事場で仕事をし続けていく事だと思っています。
”溜め”を持っている私ですから、それを社会に還元して誰かの”溜め”になればと願っています。

2010年5月11日火曜日

Empty Eternity



永遠なものはこの世に存在しない



モノも自然も人の気持ちさえも。




一度獲得したものがずっと手元にあるわけはなく、常に変わり続ける環境や自分の気持ちに人は向き合うごとに主観と客観のギャップに閉口する。



「客観性を常に持つ」なんてことはその実できるわけもなく、”客観的に見つめ直すインターバル”が短いか長いかに過ぎない。しかし、それすら相対化されている。





獲得したスキルも、到達した悟りも、信念も。すべては獲得したその時から、その掌を滑り落ち始める。





だから。変わらないためにボクら努力しつづけなければならない。



変化させないために変化し続けなければならない。





それがモノをなくさない秘訣だ。

2010年3月5日金曜日

旅の夕暮れ 今日の夕暮れ

 まず、断っておきたいがここで言及することが真理ということは決して無い。
しかし、一つの世界のえがき方だとも思う。

「人生とは旅(のようなもの)である」

誰もがうなずけるとおもう。 だが、私は違うと言いたい。

旅とは人生を魅力的にする2つの要素のうちの1つではないでのか。
すなわち日常に対する非日常。

日常があるが故に非日常があり、非日常があるために日常があるという事だ。
コインの表と裏、昼と夜の関係性と同質のものである。

旅(非日常)とは日常から遠いので人は旅において感傷的になったり、冒険的になったりするのだ。

旅のその移動距離に関わらず。
車で30分の目的地でも、県内でも、国内でも。 日常からの遠さでそれは旅になる。

毎日、毎週、毎月の仕事があり同じ行動を繰り返す事でそれは日常になる。
その繰り返しの行動から外れる行動をするとそれは旅になるのだ。
週末のドライブもたまにするから気持ちがいい。
毎週ドライブへ行っていてはそれは旅ではなく日常だ。
これに関しては賛同してくれる人の方が多いと思う。

では、人生という長い期間で考えるとどうか。
まず、人生と旅をつなげてみる。 この二つの共通点、すなわち、ある場所から別の場所へ、そしてさらに別の場所へ、という”移行性”だ。
これは場所や組織、住処などの物理的なものからその移動にともなう関わる人の違いと移行、すなわち人間関係などの精神的な移行も含んでいる。

人生において個人は所属と位置を変えながら(成長しながら)、それと同時に関わる人とその人との関わり方を変えていき、人生を歩む。
旅も時間を使いながらある場所からある場所へ、それと同時にその土地その土地で関わる人を変えていきながら旅をつづける。
この点においては人生は旅そのものと言ってよいように思える。

しかし、"移行性"が共通しているからといって旅と人生をつなぎあわせるのは危険だ。
なぜなら、人は常日頃から旅行中のあの気まぐれさ。開放感。冒険性。敏感さ。漂泊感。を持って日常を過ごす事ができないからだ。旅行中の感覚で日常へ入ると「バカンス気分が抜けていない」と上司に怒られるだろう。旅独特のあの感覚は日常にないからこそ人は旅に憧れる。
旅人の移行性は自由であるが、旅から帰ると自分の移行性(行動と関係)にともなう責任がついてくるからだ。
つまり、非日常の移行性と日常の移行性は似通ってはいるが、まったく異質のものだ。

だから、旅と人生は別である。

                人生=日常+旅  

ゆえに旅は人生の半分であり必要なもの。そして旅があるから日常が輝き(その逆もしかり)、人生が楽しめるのだ。

2010年1月27日水曜日

Pradaigm Shift

 あけましておめでとうございます。2010年も早1ヶ月も過ぎようというところですが、今年初エントリーです。
 駄文長文です。申し訳ありません。精進します。 

Paradigm Shift(パラダイム・シフト)を理想する。そんな時代を求めるべき時代が来たのだと私は感じている。
 Paradigmとはご存知の方もいるかと思うが、科学史における時代区分の一つの方法論であるが、現代ではそれは技術分野のみならず、政治、経済の分野で広く使われている。
 前エントリーで少し記したが、下らない政争をしていては長期的な国の行く末、その将来にある目的など望めない。
 それに資本主義を変えてなくてはいけない時代がもうすぐそこまで来ている。ネオ・リベラリアン、ケインジアン、はたまたネオ・コン。どの立場にしても「消費」することで動く経済システムの中でのことだ。「消費」することで成長していく(成長しか知らない)経済構造を是正しなくては地球に未来はない。 まずは「消費」と「浪費」を切り離すことからはじめ、その上で、消費の「循環」と「成長」をつなげることが必要である。

例えばナイロン製の衣類を「生産→販売→消費→回収→リサイクル→生産」へ。
   食品を    「生産→販売→消費→(生ゴミ)回収→リサイクル(肥料)→生産」

というように、生産品とリサイクル品が同じ循環なら経済活動としても、環境としても回っていくのではないだろうか。

ペトボトルをフリースのセーターにしてはならないのである。ペットボトルはペットボトルにしなくては。
 私が足りない頭で考えたが、このようなもの以外に思いつかない・・・
資源と経済の効率性を考えた場合、まず間違いなくペットボトルをペットボトルにするよりフリースのセーターにする方がコストは安くなるだろう。だが、フリースのセーターがペットボトルに戻ってくるまでどれだけの数の行程と時間がかかるのだろうか。
少なくとも海や河川の水分が蒸発し、雨になって山に降るよりは時間がかかるだろう。


理想主義は時として行き過ぎたり揺り戻しが大きかったりするなどマイナス面が多々ある。

が。

早急に100年後の資本主義、民主主義のありかたを考え、意見を出す必要が出て来ているのではないか。 今やらなければ100年たってもやらないだろう。

では、何を?
声を上げることだ。多くの人が。
選挙や経済活動ではなく。今のシステムの外側で。

現実はそんなことをしても何も変わらないだろう。
30年経って振り返ってみても何も変わらないだろう。

ひとそれぞれでいい。自分のやりかたで。

それでいいと思う。

現実的な変化はボクらの子供の世代からでいいと思う。
プラハの春はすぐ散った。
だが20数年後にまた春は来たのだ。