2010年5月11日火曜日

Empty Eternity



永遠なものはこの世に存在しない



モノも自然も人の気持ちさえも。




一度獲得したものがずっと手元にあるわけはなく、常に変わり続ける環境や自分の気持ちに人は向き合うごとに主観と客観のギャップに閉口する。



「客観性を常に持つ」なんてことはその実できるわけもなく、”客観的に見つめ直すインターバル”が短いか長いかに過ぎない。しかし、それすら相対化されている。





獲得したスキルも、到達した悟りも、信念も。すべては獲得したその時から、その掌を滑り落ち始める。





だから。変わらないためにボクら努力しつづけなければならない。



変化させないために変化し続けなければならない。





それがモノをなくさない秘訣だ。

2010年3月5日金曜日

旅の夕暮れ 今日の夕暮れ

 まず、断っておきたいがここで言及することが真理ということは決して無い。
しかし、一つの世界のえがき方だとも思う。

「人生とは旅(のようなもの)である」

誰もがうなずけるとおもう。 だが、私は違うと言いたい。

旅とは人生を魅力的にする2つの要素のうちの1つではないでのか。
すなわち日常に対する非日常。

日常があるが故に非日常があり、非日常があるために日常があるという事だ。
コインの表と裏、昼と夜の関係性と同質のものである。

旅(非日常)とは日常から遠いので人は旅において感傷的になったり、冒険的になったりするのだ。

旅のその移動距離に関わらず。
車で30分の目的地でも、県内でも、国内でも。 日常からの遠さでそれは旅になる。

毎日、毎週、毎月の仕事があり同じ行動を繰り返す事でそれは日常になる。
その繰り返しの行動から外れる行動をするとそれは旅になるのだ。
週末のドライブもたまにするから気持ちがいい。
毎週ドライブへ行っていてはそれは旅ではなく日常だ。
これに関しては賛同してくれる人の方が多いと思う。

では、人生という長い期間で考えるとどうか。
まず、人生と旅をつなげてみる。 この二つの共通点、すなわち、ある場所から別の場所へ、そしてさらに別の場所へ、という”移行性”だ。
これは場所や組織、住処などの物理的なものからその移動にともなう関わる人の違いと移行、すなわち人間関係などの精神的な移行も含んでいる。

人生において個人は所属と位置を変えながら(成長しながら)、それと同時に関わる人とその人との関わり方を変えていき、人生を歩む。
旅も時間を使いながらある場所からある場所へ、それと同時にその土地その土地で関わる人を変えていきながら旅をつづける。
この点においては人生は旅そのものと言ってよいように思える。

しかし、"移行性"が共通しているからといって旅と人生をつなぎあわせるのは危険だ。
なぜなら、人は常日頃から旅行中のあの気まぐれさ。開放感。冒険性。敏感さ。漂泊感。を持って日常を過ごす事ができないからだ。旅行中の感覚で日常へ入ると「バカンス気分が抜けていない」と上司に怒られるだろう。旅独特のあの感覚は日常にないからこそ人は旅に憧れる。
旅人の移行性は自由であるが、旅から帰ると自分の移行性(行動と関係)にともなう責任がついてくるからだ。
つまり、非日常の移行性と日常の移行性は似通ってはいるが、まったく異質のものだ。

だから、旅と人生は別である。

                人生=日常+旅  

ゆえに旅は人生の半分であり必要なもの。そして旅があるから日常が輝き(その逆もしかり)、人生が楽しめるのだ。

2010年1月27日水曜日

Pradaigm Shift

 あけましておめでとうございます。2010年も早1ヶ月も過ぎようというところですが、今年初エントリーです。
 駄文長文です。申し訳ありません。精進します。 

Paradigm Shift(パラダイム・シフト)を理想する。そんな時代を求めるべき時代が来たのだと私は感じている。
 Paradigmとはご存知の方もいるかと思うが、科学史における時代区分の一つの方法論であるが、現代ではそれは技術分野のみならず、政治、経済の分野で広く使われている。
 前エントリーで少し記したが、下らない政争をしていては長期的な国の行く末、その将来にある目的など望めない。
 それに資本主義を変えてなくてはいけない時代がもうすぐそこまで来ている。ネオ・リベラリアン、ケインジアン、はたまたネオ・コン。どの立場にしても「消費」することで動く経済システムの中でのことだ。「消費」することで成長していく(成長しか知らない)経済構造を是正しなくては地球に未来はない。 まずは「消費」と「浪費」を切り離すことからはじめ、その上で、消費の「循環」と「成長」をつなげることが必要である。

例えばナイロン製の衣類を「生産→販売→消費→回収→リサイクル→生産」へ。
   食品を    「生産→販売→消費→(生ゴミ)回収→リサイクル(肥料)→生産」

というように、生産品とリサイクル品が同じ循環なら経済活動としても、環境としても回っていくのではないだろうか。

ペトボトルをフリースのセーターにしてはならないのである。ペットボトルはペットボトルにしなくては。
 私が足りない頭で考えたが、このようなもの以外に思いつかない・・・
資源と経済の効率性を考えた場合、まず間違いなくペットボトルをペットボトルにするよりフリースのセーターにする方がコストは安くなるだろう。だが、フリースのセーターがペットボトルに戻ってくるまでどれだけの数の行程と時間がかかるのだろうか。
少なくとも海や河川の水分が蒸発し、雨になって山に降るよりは時間がかかるだろう。


理想主義は時として行き過ぎたり揺り戻しが大きかったりするなどマイナス面が多々ある。

が。

早急に100年後の資本主義、民主主義のありかたを考え、意見を出す必要が出て来ているのではないか。 今やらなければ100年たってもやらないだろう。

では、何を?
声を上げることだ。多くの人が。
選挙や経済活動ではなく。今のシステムの外側で。

現実はそんなことをしても何も変わらないだろう。
30年経って振り返ってみても何も変わらないだろう。

ひとそれぞれでいい。自分のやりかたで。

それでいいと思う。

現実的な変化はボクらの子供の世代からでいいと思う。
プラハの春はすぐ散った。
だが20数年後にまた春は来たのだ。

2009年12月7日月曜日

 前半サッカーの話。後半政治の話です。

 何事も目的が明文化もしくは明確になっていないと過程は不確実になり、その結果その目的までもブレてしまいます。

個人においては時間の経過と感情の経由がそれを引き起こさせ、組織においては関わった人の数とその関わりあいが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アビスパ福岡は毎年J1昇格(その目標自体が足下を見ていないと個人的にかんじるのだが)といいながらもそれを実現するための具体策を講ずることはなく。
はっきりいって昇格を決めた2005年の時のような雰囲気づくりを今シーズン、フロントは仕掛けていなかったし、チームスタッフもそう。

「結果の責任を選手だけがとった」とは私は言いません。事実ゲームをしたのは彼らなのですから。彼らにも責任の一端はある。
 が、事実9名の選手がそれをとりました。

ではフロントは?チームスタッフは?サポーターは?

辞めることが必ずしも「責任をとる」ということではありません。それに現体制の継続を決めたフロントとそれを受けたチームスタッフが取るべき責任とは現段階ではプロスポーツチーム、フロントとして成長と変化しようという姿勢を見せること。
 
先日のホーム最終戦。人それぞれ感情、考え方を否定するつもりではありませんが、人の話を聞かないで文句だけ言うのは子供と一緒でしょうし、国会で野次る政治家と変わりありません。

勝つためにはチーム、サポーター、フロントの3者が一つにならなければならないのです。

わたしはサポーターがそれを放棄してしまったように思えてなりません。

確かに信頼することのできないフロントです。しかし私たちがそれを、チームとフロントを長い目で見守り、信頼し続けなければ、フロントは「なにをやってもブーイングされるよ」と身を固めてしまいます。

好きな人の笑顔を見る最もシンプルかつ効果的な方法は自分がその人に微笑みかけることです。
これが私たちの今シーズンの反省と責任。来シーズンへの宿題です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変わって政治の話です。
ちょっと古いのですが事業仕分けについて。
「目的の明文化」という点でサッカーネタと同じエントリーで。

 鳩山首相の事業仕分けの最初の目的は何だったのでしょうか。
①来年度予算の見直しと無駄を省くこと。
②天下り法人の洗い出しと撲滅。
③無駄を省いたうえでの子供手当などの財源確保。
といったところでしょうか。

勝手な想像ですが、首相は全部をやれると思ったのでしょうし、それがりそうだった。しかし、あまりにも短期間にすべてを詰め込みす、そのため目的がぶれてしまった。
しかも、数字だけを目標にしてしまったためか血の通わないやりかたになってしまった。

科学分野の知識人、オリンピックメダリストたちの抗議はそのいい例です。

鳩山政権は八方美人の理想家。

事業仕分けも優先順位をつけて行うべきだったし、仕分け人の選定も国民には不透明でした。
例えば、「天下り撲滅」を最優先にするとすれば、そこに焦点をしぼるべきでした。
私は事業仕分けを否定している訳ではありませんがもう少し目的に優先順位をつけ時間をかけるべきだったのでは?と感じます。
ただ、来年度予算と国会の期日を考えるといそがないといけなかったのも事実ですが・・・

首相は初めて政権をとって、短期で結果を出そうと「アレもコレも」になっています。
でないと次の選挙で自民党に政権を奪還されるのを恐れているからなのでしょうが・・・

いい加減、政争というものをやめていただきたい。
一国民国家としての目的が政争のためにブレ、国として何の進歩もしない時代が続いてしまいます。
自民・民主・その他の政党すべてが日本という国の中でのPlayerなのですから。
Think Global, Act Local. です。

次のエントリーはこれに関連してParadigm Shiftについてです。

2009年11月7日土曜日

Think global, Act local

JFKは大統領就任演説で次のように訴えた。
「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同 胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか」

人は独りでは弱い。

「誰かがやってくれるだろう」だとか
「別に自分がしなくても」とつい思ってしまう。

誰もがそうだ。

政治にしても「民主党はどう変えてくれるのか」だとか
環境問題にしても「個人よりも企業が動かなきゃ」だとか。

人がどうじゃない。

自分がアクションをおこすかどうかだ。
どんな小さな事でもいい。

そうすればリアリティーになる。
リアリティーは体の外側にあるのだ。

常に起点でありたいと私は思う。中心ではなくていい。

地球は太陽系の中心ではない。
太陽系も天の川銀河の中心にない。

でも、地球は自転し、太陽は自ら燃え、銀河系は渦を巻いている。