2年前、アウシュビッツ強制収容所を訪れた私は、初めてこの体で受け止めきれない感情の波、衝撃を受けました。心のそこから涙があふれ、哀しみでもない、憎しみでもない、怒りでもない、どうしても言葉が見つからない思いを持ちました。
言葉を持ってしまった人類は、幸福であるのと同時に、自らの限界を設定してしまった。
そう最近人と話をしていて発見しました。
よく「言葉にできない感情」や「言葉では言い表せない」という表現があるように、自分の感情や気持ち、伝えたいことばを的確に表現し切れている言葉あるのでしょうか。
例えば、すばらしい音楽を聴いたときにすっと流れた涙とそのときにこみ上げてきた感情をどう的確に表現するのか。先ほど記したアウシュビッツで受けた感情のように。
言葉を持ってしまったがために、そういう「多くの感情が入り混じった感情」を表現しきれなくなってしまった人類。既存の言葉で表現しようと試みてしまうこと。つまり既存の言葉という四角い枠組みに自らの円くかつ多種多様な形をした感情を押し込んでしまうことの不幸。
もし、その特定の形をした感情を「〇〇」という言葉で表せたなら、人はもっと人と分かり合えるのだろうに。そう感じます。
しかし、それと同時に、その現在は言葉にできない感情を、ある特定の言葉で表してしまったなら、新たな枠組みを作ってしまうことになり、さらに多くの制限を自らに課してしまうことになります。
これが人類の限界なのでしょうか。
ちょっとした、誤解や、misunderstandingでいがみ合い憎み合い、戦争をしてしまう人類の。