2007年10月17日水曜日

〜アル・ゴアのノーベル平和賞受賞〜

  "An Inconvenient Truth"を鑑賞したのは、去年のことだ。「こんなひとだったっけ?」が最初の印象だった。映画は冒頭から最後まで、淡々と続く。

確かに、内容はすばらしい。しかし、大半が小中学校で教わったことだった。エコロジー先進国、欧州各国や日本などでは、誰でもとまではいかないにしても、ある程度は一般化されていることを彼は話していた。

  アメリカで生活をし始めて3年。アメリカのエコロジーに対する認識は先進諸国としてはお粗末と表現してもしきれないぐらい酷い。
小学生の背丈ほどある、緑色のゴミ箱のなかには、生ゴミ、瓶、缶、ペットボトル、紙。はたまた粗大ゴミまで。「ゴミ」と認識されているものすべてが詰められている。
その「ゴミ」と認識されるものはすべて大地にうめられる。 
ボクが生活していたところが田舎だったからなのかもしれない。都会はまだましだろう。
それにしても、酷いのだ。
このような一般人のエコロジーに対する認識では、京都議定書を無視する理由もうなずける。

  エコロには金がかかる。手間もかかる。
国民には分別を呼びかける。広いアメリカである。意識の普及にもそれ相当の資金がいるだろう。
分別されたゴミは何時、誰が回収しにいくのか?
そして、どのゴミをどこへ持っていくのか。それぞれの再利用施設を作らないといけないだろう。それもかなりの数を。

戦争をしている国がそんなことに金や手間、時間をかれるはずもないだろう。

"An Inconvenient Truth"の話にもどろう。
そういう、アメリカ人の意識を考慮すれば、”アメリカ人にとっては”考えさせられる映画だったかもしれない。そして、これからエコロジー対策をしていく国、またはしなければならない国(すべての国ではあるが)にとってはすばらしい内容の映画だっただろう。

そういうところを考慮され、ノーベル賞を受賞したのかもしれない。

  私は現在、カナダで生活をしている。寮暮らしではあるが、ゴミは分別するよう指定してある。パリで少しばかり生活したが、街には瓶を回収する巨大な回収箱をよく目にした。 

  しかし、日本の実家に帰ると、ゴミ箱に無意識のうちにペットボトルを捨てて、母に注意された。最低な行為であった。来年にはアメリカに帰るが、アメリカでもゴミの分別を意識してしようと思う。

いまだからこそ、 ”Think Global, Act Local”である。

2007年10月6日土曜日

 ネットに依存してしまうのはやはり病的なものである。
身体的にも精神的にも不健康そのものである。
ネットに蔓延している文字達はネガティブな表現が多く、それは私がここにつづっているものも含まれる。

努めて明るく。
という訳ではないが、日々の生活を前向きに、外へのベクトルで過ごしていくために、ネットとのつながりは最小に押さえるべきなのだ。

しかし、時事問題の情報源がネットしかないこのジレンマ。

せめて、TVでも持っていれば話は別だろうが。